Thursday, November 30, 2006

 

Somos asiáticos.


 今日は、CEPEの授業後、blasileñaのEとindonesioのAと話した。文化や宗教についてで、AがEに対して、nosotros(私たち)は自然を敬愛する文化を持っていると説明していた。indonesioの彼が私を含めてAsiaという共通認識を示したことに、私は少なからず親近感を覚えた。今までAsiaの人をいわゆる「同胞」のように意識したことはなかったのだが、メキシコに来て、特にCEPEで色々な国の人に出会って、asiáticosに対して親近感を覚えることがあるのは否定できない。2年前Cancúnに行ったときに出会ったレバノン人が、「僕たちは同じアジア人だ」と言ったのを思い出す。
 そしてAは、日本はAsiaの伝統的な文化を持っているのに、どうしてそのように急速に現代化できたのかと訊いた。明治維新以降、Asiaの文化と近代化(産業化、工業化、資本社会化)がどのように両立したのかということである。それがindonesioのAには非常に不思議なようであった。日本人の「真面目さ」(良い意味でも悪い意味でも)が一つの理由にはなるだろうか。力に対する畏怖もあるだろう。
 2人と話した後、友人Lと日本語を勉強。WALMARTに寄って帰宅。
 写真は、CEPEの中庭に登場したクリスマスのための飾り付け。(写真掲載:2006/12/10)

 

深層心理

Wed, 11/29/2006

 29日のスペイン語の授業では、未来を表すのに接続法を使う場面について勉強した。代表的な例では、Cuando(英語でWhen)の節の内容が未来の時、節内の動詞は接続法。先生はこのことについて、スペイン語圏(のカトリック)では、過去思考が強く未来のことは決して定かではないから接続法を使うと説明した。(英語では現在形を使うし、フランス語では未来形を使うようである。)
 カトリックの思考の話については、たとえ信仰を持っていなくてもカトリックの環境で育った人(スペイン語圏の人)にはカトリックの考えが意識の深層にあると話していた。例えば、裕福であることよりも貧困に心を寄せる、というようなことである。hitianaのJもblasileñaのEも、このことについて強く同意していた。
 また別の話だが、前々から気になっていたメキシコでの"Norteamérica"の範囲について先生に訊いてみた。彼によれば、"Norteamérica"は合衆国を指し、"América del Norte"はカナダ、合衆国、メキシコを含めるようである。カナダと合衆国のみを指す言葉("Angloamérica"か?)は一般的に使われないようだ。これらの名称については人によって定義は様々だろうが、"Latinoamérica"に対称となるような言葉("Angloamérica")が普通使われないのはどうしてか。日本語でも使わない。「北アメリカ」がカナダと合衆国を指す言葉として定着している向きがあるからだろうか。あるいは、"Angloamérica"に仏語圏を含められないからか。"Latinoamérica"がフランス人による造語だったからか。(余談だが、"Texas"は"tejas(屋根瓦)"の意味であることがわかった。)
 CEPEの授業後、県人会の友人Lの家へ行き、一緒に日本語を勉強。家に帰る途中、近所のGuadalupe像にクリスマスの飾り付けがしてあるのに気づいた。メキシコでは、街の至る所でGuadalupeや聖人の像が敬拝されているのだ。(後日写真掲載予定。)

Tuesday, November 28, 2006

 

Mercado Coyoacán


 今日はCEPEの授業の後、peseroでMercado Coyoacánまで行ってみた。クリスマスプレゼント探しに再挑戦なのだが、ほとんど何も買い物しないで帰ってきてしまった。私はよっぽど気に入らないとプレゼントを買わない性分なので、この分ではそうそう良いものは見つかりそうにない…。
 市場では、クリスマスのオーナメントや、もみの木、カラフルな電球などが沢山並んでいた。聖家族や天使のリアルな置物が色々あるところがメキシコである。写真は、Coyoacán地区のシンボルの一つで、コヨーテの噴水である。"Coyoacán"は、「coyoteの集まるところ」という意味らしい。
 帰宅後、夕飯はハムと玉ねぎとマッシュルームのスパゲッティ。

Monday, November 27, 2006

 

第二次大戦下

 28日のRelaciones México-Los Estados Unidos(メキシコと合衆国の関係)の授業では、第二次大戦下の2国間の関係についてであった。この時期にメキシコからの移民が計画的に受け入れられ始めたということや、ドラッグがメキシコの重要な輸出品であったことなどを勉強した。この授業では、来週レポートを提出するので、そろそろ書き始めなければならない。第二次大戦下のメキシコと合衆国と日本の関係について書こうかと思う。
 夕飯は創作料理で、ネギと茄子のぶた七味炒め。

Sunday, November 26, 2006

 

集会

 今日は、友人Jに誘われて県人会の集まりに参加した。メトロCopilcoの近くのファミレスVipsで行われ、秋祭りの反省や、来年の県人会創立25周年記念の行事について話し合われた。かなり多くの参加者があった。日系人社会を研究しているEさんとも色々話せて、とても良い機会であった。
 帰宅後、疲れていたので仮眠。

 

Palacio de Bellas Artes


Sat, 11/25/2006

 23日は、まだ行っていなかったPalacio de Bellas Artes(ベジャス・アルテス宮殿)に行くことにした。ここは劇場なのだが、内部の壁画を見学することができる。José Clemente Orozco、 David Alfaro Siqueiros、 Diego Rivera、 Jorge Gonzalez Camarena、 Rufino Tamayoらの壁画が展示されていた。体制批判のものが多く、Riveraの壁画の中には日本の軍政を批判する描写も見られた。宮殿内には博物館があるのだが、ここは現在改装中で入ることができず残念であった。
 写真は、Riveraの話題作、"El hombre contralor del unverso"。邦題は分からないが、「世界を操る人」という意味である。オリジナルは、1933年にニューヨークのロックフェラーセンターのために描かれたが、資本主義と社会主義の対立構造とそのRiveraの評価(前者ー誤り、後者ー徳)が問題になり、完成前に破壊された。写真は壁画の一部だが、右端にレーニンが見える。ここに展示されているのは、1934年にBellas Artes宮殿のために描き改められた物。
 Palacio de Bellas Artesを一通り見た後、Mercado de la Ciudadela(シウダデラ市場)へ向かった。ここでは、様々な民芸品が売られており、日本に送るクリスマスプレゼントを買おうと思っていたのだが、なかなか良いものは見つからなかった。ほぼ収穫なし。
 帰宅後、夕飯は焼きうどんにした。

Friday, November 24, 2006

 

体験UNAM入試


 今日のスペイン語の授業では、外国人のためのUNAMの入試を試験的に受験した。コンピューターの画面上で選択式の問題だったが、私にとってはかなり難しかった。89点満点で合格最低ラインは40点だそうで、私は43点だった。とりあえずUNAMに入学するためのスペイン語能力はぎりぎりあるらしい…。同時にもっと勉強が必要なことも分かりました。やはり課題は語彙力だと思う。
 授業後、CEPEで友人Lと日本語を勉強。その後、いったん帰宅してからWALMARTに買い物へ。夕飯はホイル焼きにすることにし、パックされているサーモンを買うことに。さすがにむき出しで売っている魚はまだ恐くて買う気がしない…。ホイル焼きにはえのき茸があったらな、と思い野菜売り場をのぞくと、なんと売っているではないの!"ENOKI"という表示で合衆国からの輸入物らしい。しかし値段を確認すると、1袋200gで68pesos(680yen)…。700円近くするえのき茸を誰が買おうか。
 そして、次に塩漬けの鱈を見つける!メキシコではクリスマス料理に鱈(bacalao)を使うので、そろそろスーパーにも登場というわけなのである。私はまだ食べたことはないが、イメージでは鱈をトマトで煮込むというような料理である。塩漬けの鱈なら食べても大丈夫なのではないかと思い値段を確認すると、1パック約1kgで200pesos(2000yen)を越えている…。1kg2000円以上する鱈を誰が買おうか。いや、これはクリスマス料理に使うのだし、みなさん買うのでしょう。
 ホイル焼きの中身は、鮭の他にキャベツと玉ねぎ。少し貧しいが、えのき茸が買えなかったので仕方あるまい。タレはレモン醤油にした。久しぶりの味でおいしかったが、ホイルの底にバターを塗り忘れたため少し焦がしてしまった。
 夜は一人映画会で、"Como agua para chocolate"を見る予定。

 

セーター買いました


Thur, 11/23/2006

 23日のCronica(作文)の授業は、記事を一つ選んでそのコメントを書くものだった(この授業では、自分の文化の説明と、記事のコメントの2種類の作文をする)。私は今回は、"hombres de fe"という題の聖職者の比較についての簡潔な記事をNational Geographicから取ってきた。これは、ロシア正教の司教とチベット仏教の修行僧の比較である。面白かったのは、ロシア正教では髪や髭を切らないことが虚栄や慢心を抑えるとしていて、反対にチベット仏教では、それを断ち切るために髪や髭は剃らなければならない、という点である。
 CEPEの授業後、大学近くの露店で素敵なセーターを買った。190pesos。これで、部屋着の汚いトレーナー(以前WALMARTで買った物)で外に出歩かなくて済む…。メキシコシティでは先週末から急に寒くなり、季節ががらっと変わった気がします。それでも、昼間だけは暑かったりして服の調整は本当に悩みどころ…。
 夕方、上さんと犬くんとmessenger。上さんとは、最近日本で話題らしいいじめについて話した。私は丈夫な(鈍い?)子どもだったので、いじめとは無縁だった。しかし今考えれば、もし私がもっと繊細な性格をしていたら自分はいじめられていると思っていたと思う。いじめられて死ぬなんて、あんたそんなつまらない人間のために自分の命を捨ててはいけないよ。
 夕飯は、以前犬くんに教えてもらったホットサンドイッチを食べた

Wednesday, November 22, 2006

 

cepe, en el que aprendo el español


 この日のスペイン語の授業は関係詞についてであった。今まで接続詞"que"を英語と同じような感覚で使っていたが、今日は他の関係詞の使い方を習った。"前置詞+冠詞+cual/que"のかたちである。
 例えば: En mi casa tenemos un perrito al cual mi hermano puso el nombre de "Tonta". Es que yo no había sabido que en español "tonta" significaba idiota!! Cuando Tonta era bebé tacó el suelo y hizo sonido, ton, ton..., por el cual mi hermano se ocurrió ese nombre. (私の家では、弟が「とん太」と名付けた犬を飼っている。だって、「トンタ」がスペイン語で馬鹿っていう意味だって知らなかったから…!とん太が赤ちゃんの時、床をたたいて「とん、とん」という音をさせていて、弟はそこから名前を思いついたのだ。)
という感じだろうか。主に書き言葉で使う用法らしいので、このような軽い話題にはふさわしくないかもしれない。
 CEPEの授業後、今週は日本語の授業を水曜と約束していたので、県人会の友人Lの家へ行った。しかし、Lは仕事で不在で、今回の勉強は彼女の姪のYだけだった。彼女は12月に日本語能力試験の4級を受験するので、その対策である。
 帰宅後、かなり適当な夕飯を作った。大量の野菜炒めと先日買ってみた冷凍チキン。これがたいして旨くも不味くもない味である。もう二度と買うことはないだろう。

 

子ども連れ


Tue, 11/21/2006

 21日のスペイン語の授業では、Maestro. Rが10時から別の用があるということで教室を後にした。他の先生が来る気配がなかったので、見学に来ていた実習生の先生が臨時に授業を行うことになった。しかし、彼女は今日授業を行う予定ではなかったので、子どもを連れてきていた。1歳3か月だそうで、とてもかわいい。子どもは先生に抱かれたり教室の中を歩いたり。やはり母親にかまってほしいらしい。彼をあやしながらも授業を続ける先生…。結局、この日は10時半までの授業だったので、子ども連れの授業は30分で終わった。なかなか面白い状況であった。
 帰宅後、夕飯はセロリとベーコンのトマトソースパスタにした。具がやたら多かった上にトマトの割合が少なかった。材料の割合を工夫すれば、もう少しおいしいものが作れそうである。

Monday, November 20, 2006

 

"Presidente legitimo"


 20日は、民主革命記念日なので祝日である。本来なら民主革命を祝う行事が行われるのだが、今年は特別。「大統領就任式」が行われるのだ。しかし、この「就任式」、本物ではない。本物は12月1日に行われる。この日は、7月の大統領選挙で負けたことになっているLopez Obradorが、ソカロで支持者を集めて自作「大統領就任式」を催すことになっているのである。
 「就任式」は3時からと聞いていたので、それに合わせて同居人Mくんと地下鉄で待ち合わせてソカロに出かけた。なかなか支持者が集まっている。もちろんデモや警察隊も。3時を過ぎても始まらないので、近くの人に訊くと4時半かららしい。だんだん人も大勢集まって来ているので、私は家に帰ってテレビで見ることにした。Mくんはソカロ周辺を散策。
 家に帰ると、ちょうどいいタイミングで「就任式」が始まっていた。Obradorに国旗色の帯がつけられ、"Presidente legitimo"に就任する宣言が行われた。"legitimo"は「正当、合法」という意味。テレビで見るとよくわかるが、ソカロは支持者で埋め尽くされている。
 メキシコの政治は他人事ではないのだが、負けたことになった候補者が「大統領就任式」を催すなんて、さすが"Mexico Magico"である、としか言いようがない(これは、「不思議の、魔法のメキシコ」というメキシコを表すための文句)。

 

雨のなか帰京


Sun, 11/19/2006

 19日は、朝から雨がパラパラ降っていた。みんなが起きたところで、全員そろって市場に朝食を食べに行った。私はpollo(鶏肉)のquesadilla(tortillaに具を挟んで揚げた、もしくは焼いたもの)と豆のgordita(分厚いtortilla)を食べた。
 市場の食堂はどこも混んでいて、店員も忙しそうであまり客に対して気が利かない様子であった。大家さんの娘のIは、彼らが私たちを好きではないから、と言っていた。地方の人はChilango(メキシコシティに住む人の呼称)は好かないという話がある。
 別荘に戻ってからみんなでおしゃべりをしていたが、私は昼過ぎにMくんやDと一緒に大家さんの娘のIの車でD.F.に帰ることになった。翌日帰る予定の人がほとんどで、ここでみんなとお別れ。雨の中、無事帰宅。D.F.もやはり雨が降っていて、非常に寒かった。
 夜は、Teotihuacanに発掘合宿に行っているKさんがこの週末一時帰宅しているので、Mくんと3人で恒例の映画会をすることになった。今回は、”天空の城ラピュタ”。”Laputa”は、Swiftの『ガリバー旅行記』の空飛ぶ島Laputaからとったもので、彼はスペイン語でわざとこの名前にしたらしい(スペイン語で、laは冠詞でputaは「娼婦」)。
 写真は、大家さんにもらったマフラーと帽子。


 

別荘で


Sat, 11/18/2006

 18日は、朝9時過ぎに起床。よい天気である。セントロまで朝ご飯を食べに行くことになったが、ここで友人Gは急に帰らなければならなくなってしまった。大家の息子MがGを連れて帰るのを見送った後、みんなでセントロの市場へ。
 ここで私は、pancita(panza)という豚の胃の皮のスープを食べた。スープはビーフシチューみたいな感じで、豚の胃の皮の感想としてはアンコウみたいな食感である。それなりにおいしかったのだが、胃の皮は全ては食べきれなかった。そして毛の生えている皮も発見してしまった…。
 その後、バーベキューにするための食材を調達して、別荘へ戻る。ハンモックを吊して休んでいる間に、第二陣も到着。早速鶏を焼くことになった。けっこう時間がかかったが、とてもおいしかった。この日はなかなか暑かったのだが、プールで泳ぐにはもう少しである。
 夕方、なんと大家さんが私に少し遅れた誕生日プレゼントをくれた!!!ストライプの帽子とマフラーにケーキである。そして、pinataも用意してくれ、みんなで割った(目隠しに使っているのが、もらったマフラー)。私は誕生日に旅行に出ていたため帰ってきたらパーティーをしようということになっていたのだが、その気配がなかったのでもう時効だと思っていたところ、今回祝ってもらえたのでとても嬉しかった。
 夜は、みんなでおしゃべり。私は疲れていたので外にいたまま眠ってしまったのだが、しばらくして雨が降ってきたので家に入って寝た。

Friday, November 17, 2006

 

Cuernavacaへ


 17日は、CEPEの授業の後、いったん帰宅してからPERISURという大学の南にあるショッピングモールに行った。この週末、大家さん一家とCuernavacaに小旅行に行くことになっており、どうやら泳げるらしいので、そのための水着を買いに行ったのである。しかし、シーズンオフで種類が少ないということもあり、なかなか思うようなのは見つからず、結局何も買わずに帰ってきた。
 この旅行は、大家さん一家とその友達、および下宿人遊ぶという企画である。夜、車で8時頃出発と聞いていたが、結局10時過ぎの出発であった。この夜出発するのは第一陣(大家さんC、その息子M、彼の友人2人、下宿人GとMと私)で、また翌日の朝に第2陣が出発する。
 Cuernavacaに着くと、そこは大家さんの新しい別荘であった。別荘と言っても、プール付きのスペースを共有している集合住宅のようなものである。まだ新しいので、家の中はガランとしており、この日は床に雑魚寝。
 (写真は、途中の料金所。)

 

映画 "Frida"


Thur, 11/16/2006

 16日の午後の授業はCrronica(作文)だったのだが、前回の授業で映画"Frida"が話題に上ったので、みんなで見ることになった。この映画は、Frida Kahloが事故に遭うところから始まり、Diego Riveraとの関係をめぐる彼女の一生を描いている。映像はとても美しく、特に場面場面でFrida Kahloの実際の絵と現実が重なるように映像を見せてくれるところが、非常に素晴らしかった。ただ、合衆国の映画なので、登場人物が英語をしゃべる点に関しては、やはり拍子抜けしてしまう。
 授業の後、CEPEの近くで友人Lに日本語を教える。
 帰宅後おなかが空いていたので、以前買ったplatano macho(サイズの大きいバナナ)で、先生が教えてくれたお菓子を作ってみた。お菓子といっても、フライパンにアルミホイルを敷きバターを溶かしてバナナを並べ、砂糖とシナモンをまぶして焼く、というものである。そこそこおいしかったが、多分2度は作らないだろう。バナナよりも、一緒に飲んだAnnversary Blendとシナモンの組み合わせに大変満足であった。
 夜、同じ階に住むaustralianaのJがCの誕生日のためにpinata(くす玉)を作っていた。風船に好きなものを入れて糊で紙を貼っていくだけでいいらしい。ユニークでかわいいpinataができあがっていた!!J曰く、髪型がビクトリア女王みたい…。
 夕飯は、再びミートソースのスパゲッティ。ミートソースは、あと1食分余っていたので同居人のMくんにおすそ分け。自分の分は3日も続けて食べれば十分だろう

 

"x"の発音


Wed, 11/15/2006

 15日の授業では、"h"は常に無音だが"ch"では発音するという話から、スペイン語に"sh"の発音はないという内容になり、私が突っ込みを入れたところメキシコの"x"の話になった。メキシコのスペイン語には、"x"の発音が4通りある。
 "cs":castillanoカスティーリャ語のスペイン語
 "s" :mixquicミスキック, Xochimilcoソチミルコ
 "j" :Mexicoメヒコ, Oaxacaオアハカ, Texasテハス
    (スペイン語では、"j"が強めのハヒフヘホ発音。)
 "sh":mexicaメシカ(メキシコ先住民), xocoatlショコアトル(元祖チョコレート)
 1番目以外は、ナワトル語由来の発音。こう考えると、メキシコだったらShokoの"sh"が発音できそうだが、初めは大抵「チョーコ」もしくは「ソーコ」と呼ばれてしまう。
 この日の夕飯は、前日作ったミートソースでミラノ風ドリアにしてみた。わざわざホワイトソースまで作ったわりには、期待を越える味ではなかった。2階の台所にはオーブンがあるようだが、私の住む1階にはないので、電子レンジでトライ。

Tuesday, November 14, 2006

 

ミートソース


 今日は、実習生がスペイン語の授業を行った。感情表現の過去形で接続法過去を使うという内容。映画を題材にして勉強したのだが、友人でchinaのXは日本のホラー映画がが好きらしく、『貞子』が好きだと嬉々として話していた。私は、基本的に怖い&気持ち悪いだけのホラー映画は嫌いなので、話についていけず…。
 Cronica(作文)の授業では、「忘れられない出来事」が今日のテーマで、私は10月にGuadalajaraへ旅行したときに、一緒にいた友人が遭った巧妙な盗難事件について書いた(これについては後で過去の日付で投稿予定)。
 授業後、WALMARTへ寄って帰宅。非常にお腹が空いていたので、遅い昼ご飯はインスタントラーメンに再チャレンジしてみることにし、友達から勧めてもらったOTTOGIという韓国メーカーのものを買ってみた。NISSHINのカップヌードルよりはおいしいが、やはりなぜかこちらのインスタントラーメンは味が薄い。そしてラーメンにグリンピースを入れるのはやめて欲しい。今度はmaru-chanにトライする予定で、この3つがメキシコでの三大インスタントラーメンではないかと思う。
 今日の夕飯は、急にミートソースが食べたくなったので夕方前から煮込むことにした。しょうゆと七味も少しだけ入れてみたら、大変美味なソースができた。大量に作ったので、あと2食分くらいはあるだろう(インターネットのレシピで5~6人分以上作ったが、私はこの手のソースなどは、どんどん食べられる)。

Monday, November 13, 2006

 

落石注意


 今日は朝CEPEに着くと、入り口近くの岩でできた壁面から落石がある。人工的に置いた物のはずなのに落石…。昼過ぎには、写真の様に立ち入り禁止の黄色いロープが張られていた。
 今日は、早くも中間テストの日である。難しい文法はなかったが、接続法にしなくていい箇所で、わざわざ接続法に変えてしまうというアホなことをしてしまった。言い訳としては徹夜明けで頭が働かなかった…。
 CEPEの授業後、今週は県人会の友人Lさんの日本語の授業が月曜の約束なので、メトロでAuditorioに向かった。メトロ車内では、2年前の旅行の時に見たのと同じゴミ分別を呼びかけるポスターが貼られていて、進歩の無さを感じてしまった。私の家では大家さんがまとめてゴミを捨ててくれるのだが、ゴミの分別をしている様子は見られない。
 今回の日本語は助詞について。普段感覚で使っている身としては大変説明しにくい。
 帰りはpesero(バス)でメトロChapultepecまで戻ることにした。かなりの夕立だったのだが、このpesero、ワイパーが動かない模様。ガラス面に雨が流れていて前方がぼやけていることなんて気にしてはいけない…。そして天井からは雨漏りしていました。帰宅ラッシュと夕立が重なったためか渋滞がひどく、メトロに乗って家に帰ったときには7時半を回っていた。
 夕飯は、創作料理でポークライス、言い換えて和洋折衷ぶたチャーハンである。本当は和風オムライスにしようと思っていたのだが、中身がいっぱいでとても卵で包めそうになかった。それにしても、にんにくバターしょうゆ味は失敗がない。

 

floja


Sun, 11/12/2006

 11日は、怠惰な一日であった。CEPEの勉強もたいして進まず。今後気をつけたい。
 唯一食べたまともな食事は、食パンのハンバーガーのみ(まともか?)。中身はアボカドとベーコンとポテト。
 結局、日中勉強がはかどらなかった分、夜ほぼ徹夜といういけないパターンになってしまった。

Saturday, November 11, 2006

 

ファンヒーター


 今日は、朝早く犬くんとwebcamをした後二度寝…。1日中家の中で過ごし、CEPEの復習や意味調べなどをした。しかし、まだ宿題は残っている。やはり語学は時間がかかる。
 昨日買ってきたファンヒーターを早速使ってみたが、部屋全体が暖まってなかなか良い。27cm×18cmとかなり小型で場所もとらない。これで、一冬乗り越えられることを期待。
 夕飯は、ツナとじゃがいもの和風パスタ。まあまあのお味…。おいしいツナを使ったパスタがあったら知りたい。
 今日は、Teotihuacanに発掘合宿に行っている同居人Kさんが一時的に帰宅しているので、11時からMくんと一緒に"紅の豚(porco rosso)"を見る予定。彼は、メキシコ滞在中にスペイン語版宮崎駿作品を制覇するつもりらしい。そして私も便乗させてもらっている。

 

表意文字

Fri, 11/10/2006

 10日のスペイン語の授業では、少し言語学的な話題になった。R先生は、シニフィエとシニフィアンの恣意性について述べたところで(専門用語は出てこなかったが話している内容はソシュールの記号論だった)、アルファベットと意味には関係性がないが中国の漢字には文字と意味に関係性があり、それは世界でも漢字しか例がなく言語学者にとってfascinante(fascinating)だと言っていた。先生が例を用いて表意文字をみんなに説明しようとしていたので、私は山の絵と「山」、川の絵と「川」を黒板に書いてみた。印欧語圏の人にとって表意文字はなかなか興味深いようである。
 R先生の授業は、こんな感じで面白いのだが、テキストはいっこうに進まず。月曜に中間テストを控えているのに、まだテキストは三分の一も終わっていない。表意文字は唯一漢字だけというのが気になったので、帰宅後ネットで少し調べて見たら、表意文字の例としては漢字、ヒエログリフ、楔形文字、インダス文字、トンパ文字などが挙げられていて、漢字は現存する最も代表的な表意文字とされていた。 「代表的な」というからには、他にも表意文字があるのだろうか。
 昼ご飯は、友人Kちゃんと一緒にtortaを食べた。tortaはメキシコの軽食で、サンドイッチとハンバーガーの合の子みたいな食べ物である。パンの中身は、牛、豚、鶏、カツ、ソーセージなどなど。手軽で持ち帰りにもしやすく、tacosよりは飽きの来ない味なのでけっこうよく食べる。その後、構内の露店で素敵なバッグを見つけたので100pesosで購入。リュックと小さなポシェットは持っているが、その中間のものがなかったので丁度良い。
 いったん帰宅してから、WALMARTへ食材の調達に向かう。ここで、以前から欲しいと思っていたファンヒーターを約200pesosで買う。電熱線のヒーターと迷ったが、こちらの方が小型で火事にもなりにくいのでファンヒーターに決定。夕飯は、おいしい焼きうどんを食べた。夜は、Luis Bunuelの"El Angel exterminador(皆殺しの天使, The Exterminating Angel)" を見た。スペイン語の理解は中途半端だったが、不気味な恐ろしさはよく理解できた。 

Thursday, November 09, 2006

 

十二支


 今日のCronica(作文)の授業では、Yさんが日本の十二支を説明してくれ、それについて話題が盛り上がった。BrasilenaのEは、Yさんと私と同じ亥年だということが分かり、だからあなたに親近感湧いてたのよ!、と妙に感動していた(彼女は私と二周り違う亥年である)。Eはスペイン語の授業も一緒に受けていて、とても明るくパワフルな女性である。
 CEPEの授業の後、友人Lに日本語を教える。昨日とは違う友人で、こちらは無給(笑)。Lの第1言語はスペイン語ではないが、スペイン語を共通言語として話す時間があるのは、私にとって良いことである。今日は疑問の文型、および疑問詞について。
 夕飯は、あまり米など炭水化物を食べる気分ではなかったので、好物のジュリアンスープを大量に作って食べた。そして、食後には再びAnniversary Blend。カップは旅行で買った素敵なTonala焼。見えにくいが脚の部分は鮮やかなマーブル模様になっている。

Wednesday, November 08, 2006

 

日本語の授業


 今日は、CEPEで発音の特別授業が行われるためクラス全体で参加することになった。この特別授業は発音の練習なので初級者向けなのだが、これを開発しているのが私のクラスの先生なので参加することになったのである。練習課題はズバリ巻き舌の'R'である。意識すればなんとか出るが、ferrocarrilの'rril'などはやはり発音できない。ひたすら'R'の発音を練習するというものだったが、大画面を使って3Dで舌の動きをシミュレーションしてくれるので、なかなか面白かった。
 午後の授業終了後、前々から約束していた友人Lの家へ日本語を教えに行く。Lとは8月の県人会の集まりで知り合ったのである。初めて行く場所だったので、メトロAuditorioまで運転手さんが迎えに来てくれた。彼女の住んでいる地区は高級住宅街で、彼女の家も大変素敵であった。日本語の授業は彼女の姪も一緒。2人ともある程度日本語を習得していて、とても熱心。お給料もいただくので、誠意を込めて授業をしたい。
 帰宅後、夕飯は鶏そぼろの三色ご飯。食後に犬くんが送ってくれたhoney wineを少し飲んでみた。甘いデザートワインで、やさしいはちみつの風味。グラスは以前Guadalajaraへ旅行したときに買ったもの。

Tuesday, November 07, 2006

 

MEXPOST


 火曜と木曜の午後のCronica(作文)の授業では毎回自分の書いた作文を読み上げるのだが、この日の発表のテーマはDia de Muertosに関連して、「自分の国のmuertos(死者)に関する文化を書く」というものだった。日本人のほとんどはお盆について書き、私はお盆に何か特別に行事をするという文化を持っていないので祖母の家の仏壇について書いた。メキシコのDia de Muertosと日本のお盆には、共通点が多い。これは、両者ともモンゴロイドが起源であるからという考えもある。
 CEPEの授業の後、前日大家さんから配達物預かり証を受け取ったので、MEXPOSTまで荷物を受け取りに行く。初めて行く場所だったがYさんがpeseroで案内してくれたので問題なく辿り着いた。荷物は両親からで、中身が多額だったため165pesosの税金を払った(しかし、開けたところではそんなに高価な物は入っていなかったと思う…)。帰りは再びpeseroで帰宅。
 荷物を開けてみると、なんとまあ色々詰め込んである。リクエストしたものは、本2冊、コーヒードリッパー、七味唐辛子、菜箸、風邪薬、歯ブラシ、マフラーだが、その他にも梅干し、ふきん、カレンダー、バスタオル、調味料などなど。送ってもらって特に嬉しかったのは、粉末だし、生協の肉厚わかめ、小布施の栗鹿子である。大好物の小布施の栗鹿子は、賞味期限が12月なので正月まで取っておこうかしらん。いや、それ以前に食べてしまいそうだ。
 その後、早速コーヒードリッパーを使ってAnniversary Blendを楽しむべく、WALMARTへペーパーフィルターを買いに行った。帰宅後、この日ブラジルへ帰る同居人Tとお別れ。本当は先週帰る予定だったが、出国審査を通過できなかったらしい。帰国なのにそんなこともあるのか…。Tと一緒に暮らしたのは短い期間だったが、一緒にSix Flagsへ行くことができて楽しかった。
 Tを見送った後、大家さんからもう一つ荷物を受け取る。犬くんからで、今度はMEADというhoney wine!!大切に楽しもうと思う。そして夕飯は、母が送ってくれたカップ麺の中身がはみ出ていたので、それを早速食べてしまうことにした。先日の残りの豚バラ(スペアリブ)とゆで卵、ネギを加えたら立派なそばになった。
 夕飯がお腹に落ち着いたところで、コーヒードリッパーで犬くんが送ってくれたAnniversary Blendをいれる。3か月ぶりにおいしいコーヒーを飲んだ!インドネシアの重量感のあるコーヒーは酔ったような気分になるので、私はその感覚がとても好きである(今年のAnniversary Blendはインドネシアとパプアニューギニアのブレンド)。非常に満足であった。

Monday, November 06, 2006

 

Mercado SONORA


 6日は、CEPEの授業の後、同居人Mくんと一緒に、Patzucuaroに一緒に行ったメキシコ旅行中の友人2人にUNAMを案内した。図書館や医学部などの壁画を一通り見てから、Mercado Sonoraへ。Mercado Sonoraは、Mercado Mercedの近くにある魔術商品の市場である。地下鉄でPino Suarezまで行き、途中の古着市場を除いてからMercado Sonoraに行くことに。この周辺はすさんだ雰囲気がして道も汚く、娼婦が歩道に立って客待ちをしている。
 Mercado Sonoraに到着すると、まず薬草の匂いがただよってくる。市場の中はごみごみした感じで、瓶や袋に入った薬、ガイコツをモチーフにした置物やアクセサリー、麻袋に詰まった種々の薬草、軒先に吊されたニンニクなどで溢れていた。主な効能は、健康増進、病気回復、運気上昇、恋愛成就、精力増強などである。何か手頃で面白い魔法の薬があれば買ってもよかったのだが、結局適当な物は見つからなかった。それ以前に薬草の匂いと異様な商品の雰囲気に圧されたのだと思う。
 適当なところで市場を後にし、メトロMercedから2人の友人の泊まるホテルがあるHidalgoへ。ホテルへ帰る前に、近くの食堂で夕飯を共にした。鶏の丸焼きが四分の一と付け合わせで20pesos(200yen)。お腹もいっぱいになり大変満足であった。機会があれば今度また来ようと思う。2人をホテルへ送ってからMくんと一緒に帰宅。

Sunday, November 05, 2006

 

合同慰霊祭


 今日は、起きたら犬くんから楽しいメールが届いていた。そしてブログの更新をしたり、こぺちゃんとmessengerをしたり。
 夕方から、県人会の友人Jが誘ってくれた日墨会館で行われる行事に行くことに。この行事、Dia de Muertosのofrendaと聞いていたのだが、行ってみると「合同慰霊祭」という、まるで日本の法事のような行事だった。舞台にこの1年で亡くなった人の名前が掲げてあり、白い菊の花がずらりと飾られている。そして参列者はみな喪服かそれに準じる服装。Jも私もかなり適当な服装…。もちろん私はジーンズである…。
 この行事、コンセプトは法事のようだが、神父が登場しカトリックの礼拝が行われる。強いて言えば、この1年で亡くなった人の法事を合同でDia de Muertosの日程に合わせ、カトリックの儀式に則って行う、というような行事である。仏教の法事にカトリックの礼拝とメキシコ民間信仰まで合わさった非常に複雑な催し。かなり興味深い体験だった。
 夕飯は、スペアリブの煮込み。

Saturday, November 04, 2006

 

プチ壮行会


 今日もやはり旅行のためか疲れていて遅く起きた。非常に空腹だったので、創作スープスパを作ってみた。コンソメとにんにく、しょうが、塩で味付けしたのだが、長崎ちゃんぽんみたいな風味になった。具が白菜とハムだったので、さらに拍車がかかっている。私は長崎ちゃんぽんが好きではない…。二度とこの味付けのスパゲッティにはトライしたくない…。どんぶりは、Patzcuaroで買ったMichoacan州の工芸品。木製でPrehispanicoの柄が気に入っている。
 夜は、明日から1か月Teotihuacanに発掘合宿に出かける同居人Kさんの壮行会として、同居人Mくんと友人Pと夕飯を一緒に食べに行った。食べに行く場所はmexicanoのPに任せたのだが、なぜかファミレスのVipsであった。Pは、この前の鍋パーティーのお礼に、とごちそうしてくれました。

Friday, November 03, 2006

 

gift from Japan


 3日は、朝遅く起きて洗濯やブログの更新などをした。早めの夕飯は、鶏の和風スパゲッティ。夕方、今日本を旅行している友人Aとmessenger。
 夜、大家の息子のMが日本からのゆうパックを届けに来てくれた。犬くんからである!StarbucksのAnniversary Blendと日本開店10周年記念のクッキー。Anniversary Blendは私の大好きなブレンドなので、大事に楽しもうと思う。どうもありがとう☆

 

MIXQUIC por la segunda vez

Thur, 11/02/2006 Dia de Muertos Ⅱ

 2日は、朝7時前くらいにJanitzio島を出て船でPatzcuaroに戻った。Patzcuaroは素敵な街なのだが、あまりにも観光化されたDia de Muertosなので、この日の夜はもう一度D.F.郊外のMixquicに戻ることにみんなで決めた。みんなはそのままMoreliaを経由してD.F.に戻ることになったが、私はどうしても前日露店で見つけたセーターを買いたかったので、市場が開くまでPatzcuaroに留まることにした。レストランで朝食を食べながら時間を潰したが、露店が次々に準備を始めるのに目当ての店には誰も現れず…。やっと10時過ぎになってお店のお姉さんが来たが、なんと私の欲しかったセーターは前日売れてしまったらしい…!仕方がないので諦めてMoreliaに戻ることに。残念だが、朝待っている間に他の買い物もできたので良しとしたい。
 MoreliaでETNのD.F.行きに乗り換え、バスの中では爆睡。着いたのは夕方5時頃。他のみんなと合流するのは8時の約束なので、いったん家に帰り準備を整えた。7時頃同居人のMくんと一緒に家を出発し、peseroで待ち合わせのTasquenaへ。8時過ぎに全員そろい、バスでMixquicに行くことに。しかしバスがなかなか来ず、Mixquicに着いたのは11時頃であった。
 Mixquicでは露店が賑わっていて人出も多く、日本の夏祭りや大晦日のような雰囲気であった。Panteon(墓地)ではお墓も華やかに飾り付けされている。また、近くにはofrenda(祭壇)を公開している家もあった。写真右のガイコツの女の人の口には裏からチューブが伸びていて、男の子がたばこの煙をチューブに吹き込み、ガイコツがたばこを呑んでいる様に見せる、という演出がなされていた。このofrendaでは、他にもガイコツからヒモが伸びていて、家族が裏から操り人形のように操作していてとても面白かった。
 露店を一通り楽しんだ後、いよいよ帰宅。Tasquenaまでは臨時運行のバスやpeseroを利用して戻れたが、ここでリブレのタクシーを拾うことに。4人いたので恐らく大丈夫だと思ったが、やはり少し恐かった。そして3時頃無事帰宅。

 

PATZCUARO

Wed, 11/01/2006 Dia de Muertos Ⅰ

 1日は、朝早く起きて同居人のMくん達とMichoacan州のPatzucuaroへ行くことに。PatzcuaroのDia de Muertos(死者の日)の行事は国際的に有名。今回利用するバスターミナルは西のObservatorioで、ETNで9時発のMorelia行きのチケットを買う。D.F.からMoreliaまでは4時間ちょっとで、MoreliaからPatzcuaroまでは1時間程度である。
 Patzucuaroに着いてから、しばらくセントロの露店をめぐった。calavera(しゃれこうべ)の形をした色とりどりのお菓子が売られている。夕方になり、行事が行われるJanitzio島へ。Patzcuaroには大きな湖があり、その中に5つの島が浮かんでいるのである。漁業も盛んで、船の中では小魚のフライを食べた。Janitzio島へ近づくと、島の頂上に独立革命の英雄Morelosの像が見えてくる。
 Janitzo島では、まず頂上を目指して登るのだが、道中の階段の両脇にはお土産屋さんやレストランが軒を連ねていてなかなか楽しめる。頂上のMorelos像は中に入ることができて、壁面に沿った階段が螺旋状にてっぺんまで伸びている。そして壁面には、地上から頂上までMorelosの歴史を描いた壁画。階段の頂上には、かなり狭いが展望台があり、湖岸のPatzcuaroの明かりが見える。
 その後、頂上の広場では'Danza de los Viejitos(老人の踊り)'のパフォーマンスを見ることができた(写真)。'老人の踊り'は、タラスコ地方の伝統舞踊で、老人の仮面をつけて杖をつきながら激しくそして時にゆっくり踊る。この後、ショーの会場に行ったのだが、ここではもっと本格的な'老人の踊り'を見ることができた。このショーでは、他にも色々な踊りが披露され、面白かった。
 ショーは12時頃終わり、その後Tolucaから来ている友人と会った。彼女と別れた後、いよいよPanteon(墓地)へ。飾り付けされたお墓は華やかでとてもきれいだった。しかしPanteonは旅行者も自由にはいることができるので、人々がお墓で死者と過ごしている横で(寝ている人も)、旅行者が歩き回り節操なくフラッシュを焚いていて、これについてはあまりよい雰囲気とは言えなかった。もしもそうでなかったら、非常に厳かなものであっただろう。
 Panteonを後にし再び頂上のMorelos像の広場に行ってみたが、ここでは若者がどんちゃん騒ぎ…。結局、島の入り口に戻ってくる。空腹だったのでレストランで魚料理を食べた。非常においしかった。そして5時頃、さすがに疲れて眠くなり路上で寝る。

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